この「教会の中の人間関係で傷つけられないために」のシリーズは、(その1)で少しふれましたが、特に、以下のような人のためにと思って書いています。
 (1) 教会に足を踏み入れてまだ日が浅い人(以下、日浅さんと呼びます。)
 (2) クリスチャンになって、あまり月日がたっていない若葉マーククリスチャン(以下、若葉さんと呼びます。)

 日浅さんや若葉さんは、教会のしきたりや習慣をほとんど知りません。ましてや、教会にも影の部分があるなんてことは、夢にも思っていないことでしょう。
 牧師や先輩クリスチャンから、何か言われたら、普通は、まじめにしっかり聞いてそれを守ろうとするでしょう。
 ですが、「そこに落とし穴があるかも知れませんよ。」とお伝えしたいと思ってこのシリーズを書いているのです。


<日浅さんや若葉さんが教会で傷つけられるいろいろなパターン>

 (1)パリサイ人的熱心に追い立てられるパターン

 日浅さんに対しては、先輩クリスチャンが、教会生活についていろいろと教えます。

 ・できるだけ休まずに日曜日の礼拝には来てください。
 ・いろいろなイベントがありますから、良かったらそれにも来てください。
 ・(少し慣れてきたら、)聖書を買いませんか。家でも聖書を読むといいですよ。

 こんな内容のことから始まるわけですが、これぐらいなら問題はないかも知れません。

 若葉さんに対しては、さらに、聖書の読み方、お祈りのしかた、礼拝の心得、奉仕の心得、その他その教会独自のものも含めていろいろ指導されるでしょう。いわばその教会での「クリスチャン行動基準」です。

 若葉さんは、純粋な気持ちでいいクリスチャンになりたいと思うので、教えられたことをできるだけ忠実に守ろうとします。
 教えられたことを目標にがんばります。
 それを達成できたら、先輩クリスチャンからほめてもらえるし、自分で自分に合格を出したりするわけです。

 ここまでの流れは、たぶんどこの教会ででも、行われていることだと思いますが、この時点で既に、パリサイ人的行動パターンに入りかけているわけです。
 この「行動基準」を守ることが教会内で奨励されていて、これが守れたら一人前のクリスチャンとして認められるとか言う場合は、かなりパリサイ的です。
 「今度のイベントのために、招待券を5人の人に渡しましょう」とか「自分の近所にチラシを1000枚配りましょう」とか「指導」されるようになってきたら、だんだん大変になってきます。
 自発的であるはずの行動が、ノルマになっていくわけです。
 自分で決めた額を自発的にささげればいいのに、それ以上にささげさせられて、疲れてしまうような状態です。
 パリサイ人的熱心さにどんどんおいたてられる状態です。

 パリサイ人的生き方は次第に重荷になってきます。自分で自分にプレッシャーをかける生き方です。信仰生活の喜びがなくなっていきます。
 求められている生き方ができないと、自分はだめなクリスチャンだと、落ち込まされることになるかも知れません。

(続く)