<神様は、私たちにあえて「弱さ」を与えられる。>

 今日は(その9)の続きです。
 聖書の一部を引用します。

7,また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。
8,このことについては、これを私から去らせてくださるようにと、三度も主に願いました。
9,しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
10,ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。
コリント人への手紙 第二 12章 7-10節


 この文章を書いたのはパウロという人です。
 1世紀に活躍した大伝道者です。
 このパウロさんには、具体的なことは書かれていないので、詳しいことはわからないのですが、何か肉体に「弱さ」があったようです。
 何らかの病気だったのかも知れないし、身体的な特徴であったのかも知れません。
 この「弱さ」がなかったら、もっとよく働けるようになるのにとか、もっと説得力のある話し方ができるようになるのにとか、そういったものだったのかも知れません。
 とにかく、パウロさんはこの「弱さ」を取り去ってくださいと、神様に何度も祈ったようです。
 でも神様からはこんな答えがあったのです。
 「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現れるからである」

 なんという、驚くべき逆説でしょう。

 人は誰でも強くなりたいと思うものではないでしょうか。
 強ければ、人に勝つことができるようになります。
 強ければ、自分の思い通りに事を運べるかも知れません。
 強ければ、より良い仕事ができるようになるかも知れません。
 でも、神様はパウロさんに対して、弱さを持ったままでいいんだと言われるのです。人の弱さの中にこそ、神様の力は完全に現れると言われるのです。

 強さを求めることを放棄して、神様の力にすがる。この時に神様のすばらしい働きを見るようになるのです。

 そのことを理解したパウロさんは言いました。
 「むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。」「私が弱いときにこそ、私は強いからです。」


 実は、神様は、パウロさんだけにではなく、私たち一人ひとりにもそれぞれ弱さを与えておられるのです。
 たとえば、
  ・お金や名誉に対する執着が強く、人をだましたり、蹴落としたりしてしまう。
  ・アルコールや薬物におぼれてしまう。
  ・ギャンブル依存
  ・性的な誘惑に弱い。
  ・盗癖
  ・嘘をつく
  ・ねたむ

  そのほかにも
  ・運動が苦手
  ・整理整頓が苦手
  ・人付き合いが苦手

  ・各種の病気

  ・ほかにもいろいろあると思います。

 こういう弱さを一つも持たない完全な人は誰もいないはずです。神様がそのように造られているのですから。
 弱点克服のために努力するのは、当然かも知れませんが、そう簡単に克服できない場合も多いでしょう。一生の課題になるかも知れません。
 でも大丈夫。「私が弱いときにこそ、私は強いからです。」

 以上は個人の性質、状態、性格、特徴に関わる部分の「弱さ」です。

 この「毎日が大吉です。」シリーズで取り上げてきた、逆境、苦難というものは、できごと、境遇、環境という点で与えられた神様からの「弱さ」ということもできると思います。
 神様が、なぜ私たちに逆境や苦難を与えられるのか。その一つの答えが、今日の聖書の箇所と言えると思います。
 逆境、苦難の中で忍耐して、神様の力にすがる。この時に神様のすばらしい働きを見るようになるのです。

(続く)