<多教会の交流や協力について>

 教会の中の人間関係で傷つけられないための対策案を書いているところですが、今日は少し横道にそれて、多教会の交流や協力について考えます。

 世の中に 100% 正しい人はいません。すべての人は必ず、それぞれ弱さを持っていて、罪を犯してしまいます。
 それと同様、100% 正しい、完全な教会は世の中には存在しません。すべての教会は必ず、それぞれ弱さを持っていて、罪、過ち、失敗をしてしまうものだと考えられます。
 メンバーがそれぞれ不完全な罪人であるのに、そのメンバーで構成されている教会が、完全で、罪をまったく犯さないなんてことはありえません。

 人はそれぞれ、長所と弱いところを持っていて、弱いところについては互いに支え合い、励ましあい、カバーし合うよう神様から期待されていると思います。
(2018/7/5 毎日が大吉です。(その9)

 それと同様、世界にはたくさんの教会がありますが、教会にもそれぞれ長所と弱いところがあるわけです。弱いところについては、近隣の教会どうしで互いに支え合い、励ましあい、カバーしあうことを神様は期待されているのではないでしょうか。
 世の中にはいろいろな雰囲気を持つ教会があると思います。教義についても若干の差異はあるのでしょうが、聖書を神の言葉と信じ、キリストの十字架と復活が私たちの救いの根拠であると教える教会であれば、協力しあえるはずだと思うのです。違うところに目を向けて反発し合うのではなく、共通する部分を大切にして協力するのです。

 教会どうしの交流が活発になったら、教会員がみんな「強い」教会に流れて、「弱い」教会には教会員がいなくなると心配される方があるかも知れません。
 でも私は、真実に信仰に生きている牧師や教会であれば、教会員がいなくなるなんてことは起こらないと思うのです。
 クリスチャンには多種多様な人が含まれています。それぞれのクリスチャンにとって相性のいい教会も多種多様なはずです。
 教会員が少ない教会も出てくるとは思いますが、そのことについては、教会員の多い教会が少ない教会を助けるような仕組みができたらいいですね。

 人間に多様性があるのと同様、教会にも多様性があることが良いことであるとみんなが認識し、多様性が守られるように行動していけたらいいと思います。

 自分の属している教会が世界で一番いい教会だと思いたいのが多くのクリスチャンの自然な心情だとは思います。
 そのような思いをいだいて、ほかの教会を見下したり、ライバル視したり、敵対的な行動に出ることもあるかも知れません。
 競争があるから、より発展するという考え方もあるのでしょうが、神様から見たらまったく愚かなことのように思います。
 そもそも、教会の優劣を決めるのはなんですか。どうやってそれを判断、判定するのですか。
 礼拝の出席者数ですか。受洗者数ですか。献金や予算の規模ですか。施設の大きさや立派さですか。
 いずれの尺度も、神様から見たら、まったく意味のないものです。(2018/7/29 教会の中の人間関係で傷つけられないために(その10)

 すべての個人が神様にとって大切なように、すべての教会も神様にとって大切なはずです。
 いろんな教会があっても、互いに競争するのではなく、支え合い、励ましあい、カバーし合うようになったらいいですね。