<クリスチャン生活は「修行」ですか。>

 大辞林 第三版によると「修行」とは
  生理的欲求を禁じて精神および肉体を鍛錬することにより、精神の浄化や神的存在との合一を得ようとする宗教的行為。
だそうです。

 クリスチャンでも「修行」のようにクリスチャン生活を送る人が多いように思います。

 聖書の中には、たくさんの律法があって、これをしなさい、これはしてはいけませんというような記述がたくさんあります。
 また、クリスチャンになると、牧師や指導的立場のクリスチャンや先輩クリスチャンから、「クリスチャンたるもの、こんな生き方をすべし」というようなことが教えられます。

 まじめなクリスチャンであれば、これらの教えを忠実に守ろうとします。
 自分で、自分のためにノルマを決めることもあるかも知れません。
  毎週休まずに礼拝に出席する。
  毎日聖書を1章読む。
  毎日1時間祈る。
  毎週伝道に出かける。
  とか。

 でも、
教会の中の人間関係で傷つけられないために(その8)
http://yasushikomatsu.blog.jp/archives/10853189.html
に書きましたが、「本来の律法」を人間がきちんと守ることは不可能なのです。絶対にきわめることができない道をきわめようとしているのです。こんなことが苦しくないわけがありません。

 自分の作ったノルマを守り続けるのも大変なことです。だんだん、喜びがなくなってきて、やがて、つらく、苦しくなってくるかも知れません。

 決めたことを守ることができない自分がイヤになります。

泣きながら、苦しみながら、つぶれそうになりながら、ふらつきながら前に進む。
何度もつまずいて倒れながら、なんとか立ち上がって、またヨロヨロと進み始める。
痛々しい、悲壮感漂う生き方です。

 クリスチャンの生き方って、こんなつらい、苦しいものなんでしょうか。

 こんなことを考えてみてください。

 あなたのこどもが、親を喜ばせようとしてがんばっています。
 でも、どんな様子かと言うと、泣きながら、自分にむち打ち、自分を傷つけながら、自分の身を削りながらがんばっているのです。
 あなたのこどもがこんな生き方をしていたら、あなたはどう感じますか。
 あなたなら、このこどもに向かってどのような言葉をかけますか。

 「お父さんのことを、それほどまでに大事に思っていてくれたんだね。本当に涙が出るほどうれしいよ。ありがとう。
 でもね、そんなにがんばらなくてもいいんだよ。
 お父さんはね、君が、自分に与えられているものを喜んで、毎日、楽しく、生き生きと過ごしている姿を見るのが、一番幸せなんだ。」

 私なら、こう話しかけるかも知れません。


ささげる喜び〜〜劣等感からの開放〜〜
http://yasushikomatsu.blog.jp/archives/9024640.html
 に書きましたが、自分に与えられたものを感謝して受けて、それを喜びを持って、神様のために、また周りの人のためにささげていくような生き方を、神様は喜ばれるのではないかと思うのです。