小松邦志ブログ

小松邦志がふだん考えているいろいろなことを順不同で書きます。  医学、医療のこと、旅行のこと、クリスチャンとして考えていること、趣味のこと、政治のことなどが主な話題になると思います。

 今日は5月16日に書いた記事
「毎日が大吉です。(その1)」(http://yasushikomatsu.blog.jp/archives/9337673.html)
の続編です。


<因果応報の神ではありません。>

 世の中の多くの宗教の神様は、たいてい因果応報の神です。
 いいことをしたらいいことが起こる。悪いことをしたら悪いことが起こる。バチが当たる。

 でもキリスト教の神様、聖書の神様はそうではないんです。

 聖書 ヨハネの福音書の第9章には生まれつき盲目の人が出てきます。
 イエスの弟子たちはイエスに質問します。「この人が生まれつき盲目なのは、この人が罪を犯したせいですか。この人の親が罪を犯したせいですか。」
 するとイエスは答えます。「この人の罪のせいでも、親の罪のせいでもありません。ただ神の栄光がこの人の上に現れるためです。」
 このあと、イエスが盲人の目を癒やして見えるようになり、この人も周りにいた人も、神様に感謝して、神様をたたえたのです。

 このように、不幸なできごとの原因は、私たちが悪いことをしたということではないのです。

 「毎日が大吉です。(その1)」で書いたように、神様は私たちに対して、常に平安、将来、希望を与えるための計画を持ってくださっています。
 「私はカーナビが好きです。」(http://yasushikomatsu.blog.jp/archives/9623886.html)
に書きましたが、私たちが道を間違えたとしても、失敗しても、つまずいて倒れたとしても、常に寄り添って、いつでも最善の選択肢を示し続けてくださる方なのです。励まし、希望を示してくださる方なのです。
 決して、私たちの弱さ、間違い、失敗を責め立てて、バチをあてる、苦しみを与えるような神ではないのです。

 何か不幸なできごとが起こった時に、自分を責めることが一般に私たちにはよくみられるように思います。
 「私が〇〇さえしなければ、こんなことにはならなかったのに」
 「私が☓☓しなかったから、こんなことになったんだ。」
 でも、私たちの行動が不幸なできごとの原因と思わなくてもいいんです。

 もちろん、自分の不節制や不注意や罪などの直接の結果として、不幸なことが起こることはあるでしょう。ですが、そのような場合でさえ、神様は冷たく突き放すのではなく、立ち直ることができるように、支え、導いてくださるのです。

(続く)

 今日は、JINRIKI(じんりき)というスグレモノを紹介します。

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 これは、車いすに取り付けて、持ち上げて前からひっぱれるようにするツールです。
 ほとんどすべての車いすに取り付けられるそうです。

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 車いすを普通にうしろから押した場合には、砂利道やデコボコの多い道を進むのはかなり大変なんです。押す人はものすごい力で押さないと前に進まないし、乗っている人にとってはとても乗り心地が悪いんです。はっきり言って、非実用的なレベルです。

 ですが、このJINRIKIをつけて、前輪を浮かせた状態で車いすを前からひっぱると、砂利道、デコボコ道でもけっこう難なく進めるのです。少々の段差も上り坂も平気です。砂浜でも雪の上でも大丈夫なんです。

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 災害時の緊急避難用という用途がメーカーからは提示されていますが、車いすを利用されている方が、外出や旅行をする際に使用されるのも、とても価値のある使い方だと思います。
 車いすじゃないと移動できないからと言って、旅行や外出をためらっておられる場合でも、JINRIKIを使って、思い切って出かけてみたらいかがでしょう。きっと、新しい世界が開けてくると思います。

 メーカーのホームページはこちらです。
http://www.jinriki.asia/

 画像はホームページのものを使わせていただきました。

 先日、患者さんのご家族からメダカをいただきました。
 この方は、メダカを飼って殖やすのが好きでたくさんのメダカを飼っておられます。
 希望する人があれば、誰にでも喜んでメダカを分けてくださるのです。
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 ちょっとしたきっかけがあって、私もメダカを分けていただくことになりました。
 でもうちにはネコがいて、いたずらされそうなので、こひつじクリニックの看護師が飼うことになりました。
 元気に泳いでいるそうです。
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 私はカーナビが好きです。

 私は毎日、多くの患者さんの家を車で訪問して回っています。私は iPad で yahoo カーナビを使っているのですが、最近のカーナビは優秀で、住所を入力したら 90% ぐらいの確率で患者さんのおうちの玄関前まで案内してくれます。カーナビなしではとても仕事は成り立ちません。ほんとに便利ないい時代になったものです。

 でも私がカーナビが好きな理由は、このことではないのです。
 目的地を設定すると、カーナビは一番いいコースを見つけてくれて表示し、音声で案内してくれます。そのとおりに走れば、目的地にスムーズに到着するわけですが、時には曲がるポイントがわかりにくくて、曲がりそこねたりすることがあります。すると、カーナビは道を間違えたことを即座に感知し、別のコースを探索し、何事もなかったかのように案内を続けて、当初とは違ったコースではあるけれどもきちんと目的地に着くようにしてくれるのです。あまりにもさりげなさすぎて、自分が道を間違えたことに気づかないこともあるぐらいです。

 もし、カーナビの表示してくれたコースから間違ってはずれてしまった時にカーナビがこんなふうにしゃべったとしたらどうでしょうか。

 「そこで曲がれって言ったのに、どうして曲がらないの。あんたって、ほんとにとろいね。運転に向いてないんじゃないの。しょうがないから、次の道を探して教えてあげるけど今度間違えたら、もう知らないよ。」

 こんなふうにカーナビに言われたら、落ち込むし、運転してても全然楽しくないし、間違えるのがこわくて緊張するし、ストレスがかかるし、下手すると事故を起こしてしまうかも知れません。

 でも幸いなことに、カーナビはこんなことは言いません。
 間違っても責めることはないし、常に寄り添って、いつでも最善の選択肢を示し続けてくれるのです。

 話は変わりますが、私の人生のこれまでの歩みを振り返った時に、神様は私に対して、このカーナビのように導いてくださったことがわかるのです。
 人生の要所要所で、神様は私にいろいろな方法で導きを与えてくださいました。
 導きのとおりに進んだこともありましたが、自分の弱さのために従えないこともありました。自分の罪のためにコースをはずれたこともありました。でも、そんな時でも、神様は私を見捨てることなく、次の道を教えてくださったのです。そのおかげで、今の私があるのです。

 また別の記事で、神様がどのように私を導いてこられたか具体的に書いていきたいと思います。

 今日は神戸で文部科学省の前事務次官の前川喜平氏の講演会があったので行ってきました。
 加計学園問題で「行政がゆがめられた」と発言したことで有名な方です。

 日大アメフト部の宮川さんも私は非常に尊敬していますが、前川喜平さんも勇気のある立派な方だと思います。

 今日の講演のタイトルは「憲法を活かした教育とは」でした。
 憲法の理念、戦後の政治や教育の流れ、道徳教科化の問題、加計学園問題の要点などを平易な言葉で理路整然と話されてました。非常によく理解できました。あたたかい人柄を感じさせる話し方で、お役人らしさが感じられませんでした。

 心ある面従腹背の官僚のおかげで、理不尽な政治家からの圧力が緩和されている場面があることもお聞きできて、官僚に対する考え方も少し変わりました。
 悪い政治家が多い昨今なので、良心的な官僚の働きに期待します。
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