小松邦志ブログ

小松邦志がふだん考えているいろいろなことを順不同で書きます。  医学、医療のこと、旅行のこと、クリスチャンとして考えていること、趣味のこと、政治のことなどが主な話題になると思います。

<医師が患者様に一対一で伝道すると>

 医師➖患者関係は、このような特殊なものなので、そのような関係の中での一対一の伝道は強いプレッシャーを伴ったものとなります。
 患者様は、医師に対する恐れや遠慮を感じてしまいがちなのです。
 医師にそのようなプレッシャーを与えるつもりがなかったとしても、また、意識的にプレッシャーがないようにしたつもりだったとしても、それでも、無言の圧力が患者様にかかり、自由な意思を持ち、選択をすることができなくなると思います。
 そのような関係のもとで医師が伝道をすると、患者様は、自分の本当の気持ちに反する選択や行動をしてしまうことになりかねません。
 なので、患者様が、仮に信仰を持ったとしても、それは本物の信仰にはなりにくいのではないかと思うのです。

 信仰が、そのような圧力のもとで始まった場合、その後の信仰の成長が遅れてしまうかも知れません。
 信仰のために何か困難が起こったり、逆境を通ることになったりした場合、あまり忍耐できずに信仰から離れやすかったりするかも知れません。
 そのようなことがあると、医師が患者様に伝道したことが、患者様本人にとっても、患者様と近い方々にとっても、むしろあだになってしまって、かえってそれらの方々をキリストから遠ざけてしまうようになってしまうかも知れません。

<医師は患者様よりも強い立場にある。>
2018/6/18  患者さまが自分の人生の主人公になることのできる医療とは(その3)
 で書きましたが、私は医師と患者様は本来対等であるはずだと考えています。

 でも実際には、患者様の立場は医師の立場と比べると非常に弱いものです。

 第一に、医師は、患者様の弱みや秘密を知ることができます。医師には守秘義務がありますから、患者様の秘密を知ったとしても、それを漏らすようなことはないのですが、でも患者様にしてみれば、自分の弱みや秘密を知られていると思うだけで、自分の立場の弱さを感じてしまうかも知れません。

 第二に、医師は、患者様の健康や生命を左右しうる立場にあります。医師は、医師としての良心や使命感を持って、患者様のために私情をまじえずに最善となる診療を行っていくはずのものではありますが、患者様にしてみれば、医師の心情一つで、自分の健康が左右されるのではないかという恐れが多少なりともあるものです。

(続く)

2018/8/5 記事一覧

<はじめに>

 私はクリスチャンです。
 だれでも、キリストを信じるなら、この世においては、どんな困難や逆境にも負けない、本当に幸せな人生を送ることができるし、死んだあとも天国で永遠に喜びを持って生き続けることができると、私は信じています。
 ですから、私は、まだキリストのことを知らない方に、キリストを知り、信じて、救われてほしいと願っています。
 クリスチャンが、ほかの人にキリストについて伝えることを「伝道」と言います。

 私は医師でもあるので、患者様にもキリストを信じることによる救いを受け取ってもらい、幸せになってもらいたいと思っています。
 ですが、クリスチャン医師が、患者様に伝道する際には、気をつけないといけないことがあると、私は思っています。

(続く)


 でお知らせしましたが、日程が変更になりました。

 変更後の日時は
  12月21日(金)17時30分 ~19時00分
 です。

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 毎月の事例検討会のご案内です。

 多職種での連携を強化していくためにこひつじクリニックが主催している検討会です。
 こひつじクリニックの訪問診療の患者様を担当してくださっている訪問看護師さん、薬剤師さん、ケアマネさんを中心に集まっていただいています。
 患者様一人ひとりについて、関係されている各職種の方と情報を共有し、知恵を出し合って、患者様の療養生活がより良いものとなるように考えていきます。
 上記以外の方でも在宅医療に関心のある方であればどなたでもご参加ください。

 今回もこひつじクリニックでします。
 ご参加お待ちしています。

 場所:こひつじクリニック 待合室
 日時:12月21日(金)17時30分 ~19時00分

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 もうかなり昔のことなので、いつだったかはっきり憶えていないのですが、たぶん1995〜2000年頃のことだったと思います。
 この頃、パソコンソフトで、聖書の全文検索ができるようになりました。

 その頃、私は、クリスチャンとして、無力感をおぼえていました。
 クリスチャンらしく、正しく生きたいと思っているのに、なかなかそれができない。
 家族や周りの人にも伝道したいと思っているのに、全然できない。
 伝道するどころか、自分がクリスチャンであるということを人に知らせず、人を恐れて、隠しているようなこともよくありました。
 自分にはクリスチャンとして力がないとよく思いました。どうしたら力のあるクリスチャンになれるのだろう。

 ある時、そのことを知りたいと思って、パソコンで聖書の全文から「力」という言葉を検索してみました。
 そうすると、神の力について書かれている箇所はたくさんあるのですが、人間の力について書かれているところはあまり多くないのです。

 私は検索結果を見ながら、思いました。
 「そうか、力というものは神様のものなんだ。人間というものは、どこまでも弱い存在なんだ。自分が弱くても、神様が強いから大丈夫なんだ。」

 そのことがわかってから、気持ちが楽になりました。
 神様を信頼して、従う時に、神様が弱い私を用いて力あるわざを行ってくださるのです。

"神は、一度告げられた。二度、私はそれを聞いた。力は、神のものであることを。"
詩篇 62篇11節

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